徒然と諸々と適当に20/01/24
あとでしっかりと書き直すかも
秋葉原に行くと今でも「連続殺人事件」のことを思い出す。
2008年の秋葉原通り魔事件当時、私は秋葉原にあるツクモDOS/V館の中古パーツコーナーに友人といた。
事件現場から近かったため本当に巻き込まれなくてよかったと思う。
そうやって事件のことを思い出していると当時の秋葉原のこともよく思い出せる、その中でも特に印象深いのは違法ソフトやマジコンと呼ばれるものを売っていた露店の存在だ。
今とは別の意味で権利への意識が無かったあのころ
当時、秋葉原は良くも悪くもアングラな街だった。
今のまんだらけビルの前などの十字路には謎の露店があり、テーブルの上にはファミコンゲームが1000本などと書いてあるCDケースが並んでいた。
私は買わなかったのであまり詳しくはないが購入すると原付が物を運んできたとか。
個人的に謎の露店はアングラな街だった象徴だと思っている。
しかも、今では信じられないがその露店は割と売れているようだった。
まあ、違法サイトから面倒をかけてダウンロードするより手間がないと判断するのは理解できる。
割らないと損な時代
マジコンやファミコンROMディスクの露店の存在は秋葉原では特別不思議なことではなかった。
なんせマジコンは国会議員の息子も使っていたぐらいだ。使ってない奴はバカってレベルに浸透していた。
では、筆者も当然使っていたのか?と言われれば実はその手の割れコンテンツと呼ばれるものに当時から興味がなかった。
いい子ぶっているわけでもネットリテラシーが高かったわけでもない。
当時の割れコンテンツの供給元に不安があったからだ。
今では割れコンテンツサイト(違法ダウンロードサイト)は大抵広告収入や有料会員からの収入で行われてるのだと思うので、単純に運営がコンテンツを集め供給している。
しかし、当時は違うものが多かった。
特定のコンテンツのみをアップロードできるサイトや、掲示板のユーザーが適当なアップローダーにコンテンツをアップし供給していた。
簡単に言ってしまえばユーザーがサイトを使用してアップロードしたものをコンテンツとして使用していたサイトや、掲示板でのユーザー間のやり取りがメインだったのだ。
ユーザーが徳を積んで(アップロードして)神になる時代
当時の私はこの仕組みが怖くて仕方がなかった。
なぜならアップロードしたユーザーには目に見える報酬が無いのだ。
今の違法ダウンロードサイトは収益を得るために運営されている。
そのためリスクを負っても運営する価値はあるしコンテンツをアップロードする理由にもなる。
しかし、当時の割れにはそういったものはない。
様々なユーザーが報酬なしに逮捕されるリスクを負いながらアップロードをしていた。
では、当時のアップロード者はどんな理由でアップロードしていたのかと言えば名誉のためだろう。
当時の掲示板には当然だが、割れサイトにも必ず掲示板が設置されていた。
誰かがアップロードすると掲示板には感謝の言葉であふれた。
今となっても意味不明だが落とす側から放出する側になると放流神と呼ばれユーザーから称えられていたぐらいだ。
もちろん、古いゲームやアップロード済みのゲームを放流してもあまり喜ばれない。
そのため、放流神はこぞって最新のゲームや音楽、漫画をアップロードした。
上位の放流神になるとフラゲしたもの(発売前に入手したもの)を発売前にアップロードし名誉を得ていた。
もう一度書くが、彼らには一切金銭は振り込まれない。
むしろ、金銭を要求する放流神はユーザーから非難されていた。
彼らは本当に名誉のために違法アップロードをしていたのだ。
当時私は彼らのアップロード理由は異常だと思っていた。今でもその気持ちは変わらない。
正直に言ってしまえば明確に収入になる現在の違法サイトのほうがまだ運営理由が明確で安心感すら感じる(私は使ってないよ)
懐かしいけど狂っていたあのころ
今思うと当時の割れ文化は宗教だったように思える。
嘘でも信仰すればなんでも貰えるのだから皆こぞって信仰したのだろう。
PCに入っているデータをアップロードすればだれでも神になれた時代。
今となってはとても懐かしい。
ウイニーやシェアも理由は少し違うが私は触っていない。
掲示板でのやり取りが名誉ならウイニーは愛といった感じで私は怖かった。
レンタルしたDVDを利用しているお礼として放出する様子は愛としか言えない。
あれはあれでこわかった。
まあ、偽ファイルも多かったらしいので今となっては触らなくて正解だったと思っている。